
通話録音は、たいていコールセンターの中だけで消費されています。品質チェックのために月に数十件を聞いて、評価表に点数を付けて、それで終わりです。録音データは保存され、二度と開かれません。
けれども通話の中には、他の部署が欲しがっている情報が入っています。顧客が解約を決めた理由。商品を使ってみて困ったこと。広告を見て期待していたこと。どれもアンケートの選択肢には出てこない言葉です。
この記事では、通話をコールセンターの外に出すために何が必要かを整理します。テキスト化の先にある加工、4つの部署での具体的な使い道、導入の順番、そして法務面で確認しておくことまでを扱います。
なぜ通話は社内で使われないのか
理由は担当者のやる気ではありません。構造的な壁が4つあります。
音声のままでは検索も集計もできない
録音ファイルは、中身が見えません。「容器が開けにくい」と言った顧客が何人いたかを知りたくても、音声ファイルの一覧を見ても分かりません。全部聞くしかない、という状態です。集計する手段がないので、集計されません。
聞くのに実時間がかかる
音声は早送りできますが、内容を理解するには実時間に近い時間が必要です。ここで簡単な式を置きます。
必要時間 = 通話件数 × 平均通話時間
仮に月1万件、平均5分とします。1万件 × 5分 = 5万分、およそ833時間です。これは仮の数字です。自社の件数と平均通話時間を入れて計算してみてください。いずれにせよ、人が全件を聞ける量ではないことが分かります。だから抜き取りになります。
顧客IDと紐づいていない
録音ファイルに紐づいているのは、たいてい着信番号と日時だけです。その通話が誰の通話なのか、その人が何回目の購入だったのか、直前にどのメールを開いたのか。それが分からないと、通話の内容を他のデータと突き合わせられません。分析の単位が「通話」で止まってしまいます。
個人情報が含まれるので共有しにくい
通話には氏名、住所、電話番号、ときには症状や体調の話が含まれます。だから安易に他部署へ渡せません。共有しにくいものは、共有されないまま置かれます。ここは正しい慎重さでもあります。あとの節で扱います。
テキスト化しただけでは使えません
文字起こしは入口です。そこで止めると、「検索できる録音」が増えるだけで終わります。実務で使うには、その先に4つの加工が要ります。
話者分離
オペレーターの発言と顧客の発言が混ざっていると、何も測れません。「代替案を提示しましたか」を見るにはオペレーター側の発言が要ります。「顧客が何に困っていたか」を見るには顧客側の発言が要ります。両者が同じテキストに混ざっていると、どちらの言葉か分かりません。話者分離は分析の前提条件です。
顧客IDとの紐づけ
通話を顧客IDに接続すると、通話が購買履歴・配信履歴・広告接触の隣に並びます。「初回購入から何日目の通話か」「どの広告経由で入った人の通話か」が見えるようになります。ここまで来ると、通話は単独の記録ではなく、顧客の履歴の一部になります。
要約と項目抽出
全文テキストは、そのままでは長すぎます。読む人はいません。必要なのは決まった項目です。最低限、次の4つを抜き出します。主訴(何の用件か)、理由(なぜそうしたいのか)、約束したこと(オペレーターが何を伝えたか)、次のアクション(誰がいつ何をするか)。項目が決まっていると、通話が横に並べられます。並べられれば集計できます。
ラベル付け
理由タグを付けます。価格、効果を感じない、飲みにくい、量が多い、一時的に休みたい、他社に切り替えた、といった分類です。タグ設計は最初から完璧にはなりません。運用しながら足していく前提で始めるのが現実的です。
この4つを飛ばして文字起こしだけを導入すると、たいていは使われないまま終わります。逆に言えば、ここさえ設計できていれば、通話は他部署に渡せる形になります。
4つの部署での使い道
ここからが本題です。それぞれ「何が取れるか」「何に変わるか」「取り出すのに必要な加工」の3点で書きます。
コールセンター(SV・教育)
何が取れるか。 応対の型が守られているかどうかです。深掘りの質問をしたか。相手の状況を確認したか。解約以外の選択肢を提示したか。金額や条件を正確に伝えたか。
何に変わるか。 抜き取りチェックが全件チェックになります。月に数十件を聞いていた体制が、全通話を同じ基準で見る体制に変わります。特定のオペレーターだけが偏って評価される問題も減ります。新人の立ち上がりも速くなります。良い応対の実例を、点数ではなく通話そのもので示せるからです。
必要な加工。 話者分離と、評価項目の抽出です。
ただし、正直に書きます。難しいのは技術ではなく評価表を作ることです。導入の失敗は、たいていツールではなく評価基準の未定義から起きます。この点はあとの節で扱います。
CRM・マーケティング
何が取れるか。 解約理由のタグです。しかも自己申告のアンケートではなく、実際の会話から取れます。
何に変わるか。 タグがセグメントになります。「価格が理由の人」と「効果を感じない人」に、同じメールを送らなくて済みます。前者に必要なのは価格の選択肢の提示かもしれません。後者に必要なのは使い方の情報かもしれません。内容が違うのだから、配信も分岐させたほうが自然です。
配信の分岐を作ったあとは、効果の見え方も変わります。どのチャネルで何を送ったときに継続したのかを見る話は、どのチャネルが継続率に効いているのかで扱っています。
必要な加工。 顧客IDとの紐づけと、理由タグです。CRM側に同じIDで戻せることが条件になります。
広告・クリエイティブ
何が取れるか。 顧客が実際に使う言葉です。
LPやバナーのコピーは、社内の言葉で書かれがちです。「高吸収処方」「独自配合」といった表現です。一方、通話に出てくるのは「朝がつらくなくなった」「粒が大きくて飲み込みにくい」といった言葉です。同じ商品について語っているのに、語彙が違います。
何に変わるか。 顧客の語彙をコピーに戻せます。それともう1つ、逆向きの発見があります。「広告で言っていないことを期待して買った人」が見つかります。これは期待値のズレです。ズレたまま獲得すると、初回で離脱します。獲得単価だけを見ていると気づけない構造で、獲得単価が安い広告ほど、解約が早い場合がありますで扱っています。
必要な加工。 顧客ID紐づけと、流入元データとの接続です。「どの広告から入った人の通話か」が分かって初めて、クリエイティブの改善につながります。
商品開発
何が取れるか。 商品そのものへの具体的な不満です。飲みにくい。粒が大きい。匂いが気になる。容器が開けにくい。1回の量が多すぎる。使い切る前に次が届く。
何に変わるか。 改善の優先順位が付きます。選択式アンケートの「効果を感じない」という回答は、それ以上分解できません。しかし通話では、顧客はもっと具体的に話します。容器の話は、選択肢にはまず入っていません。しかし通話には出ます。
この差については解約理由の選択式アンケートで分からないことで詳しく扱っています。
必要な加工。 理由タグの中に、商品仕様に関するタグを用意しておくことです。「その他」に落ちると見えなくなります。
評価表を作るところでつまずきます
自動評価の導入で最初に止まるのは、技術ではありません。「良い応対とは何か」が社内で言語化されていないことです。
SVの頭の中には基準があります。しかし文書にはなっていません。「この人は聞き方がうまい」という判断は共有されていても、何をもってうまいと言うのかは書かれていません。書かれていないものは、機械に渡せません。ここを飛ばして自動評価だけを入れると、出てくる点数の根拠を誰も説明できなくなります。
現実的な進め方を書きます。まず10件の通話を選びます。良いと思う通話と、そうでない通話を混ぜます。それをSV3人が別々に聞いて、それぞれ評価を付けます。そのあとで突き合わせます。
見るのは点数の平均ではありません。評価が割れた箇所です。3人が同じ場面について違う判断をしていたら、そこが定義できていない部分です。「深掘り」「共感」といった言葉は、たいてい割れます。割れた項目について、どの発言があれば満たしたとみなすのかを言葉にします。この作業を2回か3回繰り返すと、評価表の形になります。
割れる箇所を見つける目的であれば、10件でも傾向は出ます。完璧な評価表を先に作ろうとすると、着手できないまま数か月が過ぎます。
処理コストと、対象をどこまで広げるか
先に決めることがあります。全件を処理するのか、対象を絞るのかです。
文字起こしと要約の処理は、通話1件あたりで課金される形が多くなっています。つまり件数がそのまま費用になります。全通話を毎月処理するのと、解約の申し出があった通話だけを処理するのとでは、対象件数が一桁変わることもあります。
具体的な単価は書きません。私は各サービスの料金体系を比較して確認していません。ただ、費用が件数に比例しやすい構造であることは、最初の設計に影響します。「とりあえず全件」で始めると、使い道が決まる前に費用だけが積み上がります。
現実的なのは、解約通話に絞ることです。件数が限られるので、費用の見通しが立ちます。そのうえで、得られたものが業務の判断に使えていれば、新規注文や問い合わせへ広げます。逆に、4週間回して何の判断も変わらなかったのなら、そこでやめる判断もできます。やめどきを先に決めておくと、惰性で払い続ける状態を避けられます。
導入の順番
全部を一度にやろうとすると、たいてい止まります。範囲を絞ってください。
最初は1商材だけ。通話種別も絞ります。期間は4週間。これで始めます。
もう1つ先に決めることがあります。何を見るかです。「通話を分析する」では目的になりません。「解約理由の上位3つを知りたい」「解約引き止めの代替案が何割の通話で提示されているかを知りたい」というところまで決めます。問いが決まっていると、要約の項目もタグ設計も自動的に決まります。
週次で回します。1週間分のタグ集計を見て、タグの粒度がおかしければ直します。4週間あれば、タグ設計は実用レベルになります。最初から完成させようとしないほうが速く進みます。
なお、通話データを他のデータと横に並べるには、受注データや広告データを同じ場所に集める必要があります。その基盤側の話は顧客データ基盤の導入費用で扱っています。通話分析だけを先に始めて、あとから基盤に接続する順序でも進められます。
法務とセキュリティで確認すること
ここは慎重に扱ってください。以下は一般的な確認の観点です。個別の判断は自社の法務担当や専門家に確認してください。
録音していることの告知。 通話開始時のアナウンスが実際に流れているか。委託先の拠点でも同じ運用になっているかを確認してください。
利用目的の範囲。 多くの企業は、プライバシーポリシーで個人情報の利用目的を公表しています。品質管理のための録音は書かれていても、分析や商品開発への利用が読み取れるかは別です。自社の利用目的の記載を確認してください。範囲に含まれるかどうかの判断は、記載の書き方によって変わります。
保存場所と保存期間。 音声とテキストがどこに置かれるか。海外リージョンを使う場合の扱い。いつ消すか。保存期間を決めていない運用は、増える一方になります。
アクセス権限の分離。 全文テキストを見られる人と、集計結果だけを見られる人を分けます。商品開発の担当者に必要なのは「容器が開けにくいという声が何件あったか」であって、氏名や住所ではありません。他部署に渡すのは、原則として要約とタグの集計にしてください。
目的外利用をしない。 分析のために集めたデータを、別の目的に流用しない。運用ルールとして文書化しておくと、担当者が代わっても残ります。
なお、解約手続きに関する規制は現在検討が進んでいます。消費者庁の検討会では、解約手続を不当に遅延させる行為などを規律対象とすべきという方向性が中間取りまとめ(案)として示されました。案の段階であり、確定した内容ではありません。この動きについては定期購入の解約妨害が法律で禁止される見通しですで整理しています。解約通話の内容を記録し、どう対応したかを確認できる状態にしておくことは、規制対応の観点からも意味を持つ可能性があります。
この記事で断定していないこと
文字起こしの精度について、具体的な数値は書いていません。理由があります。
精度は条件で大きく変わります。商材の専門用語がどれだけ出るか。回線品質はどうか。オペレーターと顧客の発話が被る場面がどれくらいあるか。年齢層や方言の影響もあります。同じ仕組みでも、健康食品の解約通話と、専門用語の多い機器サポートでは結果が違います。
私は特定のサービスの精度を比較検証していません。ベンダーが公表している精度は、たいてい標準的な音声での測定値です。自社の通話とは条件が違います。
ですから、PoCでは必ず自社の実際の通話を使ってください。20件から30件で傾向は見えます。精度そのものより、「要約の項目が正しく埋まるか」「タグが妥当か」を見るほうが実務的です。文字起こしが多少崩れても、要約とタグが使えれば分析は成立します。逆に文字起こしが正確でも、項目設計が悪ければ使えません。
この記事で扱わなかったこと
通話中のリアルタイム支援。 オペレーターの画面に応対候補を出す仕組みは扱いませんでした。事後分析とは要件が別で、遅延と精度のバランスが変わるためです。
メール・チャットの問い合わせ。 テキストで届く問い合わせも同じ枠組みで分析できますが、話者分離が不要で、必要な加工が違います。
解約を減らす打ち手そのもの。 通話から理由が取れたあと、何をするかは別の話です。理由の分解については解約理由の選択式アンケートで分からないことを、配信の設計についてはどのチャネルが継続率に効いているのかをご覧ください。
データ基盤の費用。 通話を他データと接続する土台の相場は顧客データ基盤の導入費用にまとめています。
相談先
自社のデータで何が出せるかを確認するところから始められます。受注データ・広告データ・コールセンターの通話記録が手元にあれば、現状で何が言えて何が言えないかを整理できます。
通話が20件から30件あれば、要約項目とタグ設計の試作までは進められます。まず解約通話だけ、4週間という範囲で切ってみてください。
出典・注記
- 消費者庁「デジタル取引・特定商取引法等検討会」中間取りまとめ(案)。2026年8月24日の第8回で資料として提示されたものです。「案」であり、確定した規制内容ではありません。解約手続を不当に遅延させる行為や、契約手続に比して合理的理由なく過度に複雑な解約手続を課す行為を規律対象とすべき、という方向性が示されています。法案提出時期の記載はありません。
- 国民生活センターのPIO-NETによると、「通信販売での定期購入」に関する相談件数は2023年度80,315件、2024年度89,401件、2025年度93,065件です(2026年5月31日現在)。
- 本文中の「1万件 × 5分 = 約833時間」は仮の数字です。自社の通話件数と平均通話時間で計算し直してください。
- 文字起こし精度について、私は特定のサービスを比較検証していません。本文に記載のとおり、自社の通話での実測を推奨します。
- 法務・セキュリティの記述は一般的な確認観点です。個別の判断は自社の法務担当または専門家にご確認ください。